どれだけ自分の弱さと向き合えるか

自分の弱さと向き合う

人は誰でも、頭が良くかっこよく可愛く綺麗に見られたいものです。人間には他人に認められたい欲求があります。自分のかっこよさ、凄さ、お金持ちさを相手に見せようとします。誰しもが相手によく見られたい。そう見せたいがために、見栄を張ったり、口では大きなことを言ったりします。政治家と付き合いがある、有名人と友達だ、お金を結構稼いでいる、いい大学に出ている、海外旅行を頻繁に行けるほど余裕があるなど、とにかく自分を良く見せようとします。

そこには、決して弱い自分を見せようとしません。常に自分は人より勝っていると考える人ほど、またたとえそう思っていない普通の人でも、人より劣っている自分を認めようとしません。人より劣っている事実を認めたくがないゆえに、劣っている部分を隠そうとします。けれども、本人は相手より劣っている部分を知っています。でも、それを認めようとしません。人より劣っている自分を認めてしまうと、他人からつけ込まれるとか、自尊心が傷つくことを恐れ、事実を認めずに自分を強く見せようとします。

威張り散らす人ほど、自分に自信がなく恐れている

周りにも何かと威張り散らす人がいると思います。そういう人は去勢を貼り、上から目線で物事を言うことが多いです。とにかく相手より優位に立ちたいので、脅してきたり、暴言を吐いたりすることがあります。そのような人は攻撃的なタイプであることが多いです。でも、威張り散らす人は本当は弱い人です。自分の弱い部分、劣っている部分を認めらずに、それらをひた隠しするように、ごまかすように周りに威張り散らします。

相手をいじめるような人もまさにそういうタイプです。自分より弱そうな人を見つけて、優位に立とうとします。いじめることで、自分が強いと錯覚し、自尊心を保とうとします。いじめる行為は学校だけではありません。職場でも、社会全体にあります。誰かをけなすことで、自分を強く、優位に見せようとします。本当は自信がなく、弱いのだけれども、それを認めたくありません。

二通りの弱い人間パターン

弱い人間には二つ通りのパターンがあります。ひとつは、上記のような威張り散らすタイプです。自分に自信がないゆえに、態度で強さを示そうとします。大きなことを言ったりして、相手から強く大きな存在であるかのように見せようとします。このようなタイプは口先ばかりで、行動が伴っていない、実績が無い人が多いです。自分に実績が無いので、有名人の知り合いと言ったりして、誰かを使って自分を大きく見せようとします。自分の弱さを見ず、努力もしないので、誰かを利用して自分を偉く見せようとする人が多いです。

もう一つの弱い人間のパターンは、過度に自分を弱い人間だと思い込んでしまう人たちです。このような人たちは、先ほどの威張るタイプとは正反対の、なんでもダメと決めつける人たちです。なにか行動に移す前から、できないと思ってしまいます。過度に自信が無い人たちなので、前向きにポジティブに取り組もうとしません。弱さを知ることは悪くありませんが、度を越して自分の欠点ばかりを見てしまい、何事も不可能と考えてしまう傾向があります。自信過剰もどうかとは思いますが、あまりにも自信が無いのも行動力の欠如につながるので、考えものです。このような人は、できることに集中した方がいいです。少しずつできることを増やして、自分に自信を持つことが大切です。

本当に自信のある人は威張らない

自信の無い人ほど威張ります。自分の弱さを認められない人ほど、口だけは立派なことを言います。でも、本当に自信のある人は威張りません。頭は低く、謙虚であり、控えめであることが多いです。無理矢理人前に出ようとせずに、去勢を貼ることがありません。丁寧に相手に接し、自分の弱さも認めています。なぜそのようなことができるのか、それは自分に自信を持っているからです。

たとえ、自分の弱さを認め、相手に何を言われようとも、自分に対する絶対の自信、そして揺るぎない価値観を持っています。自分に自信があるので、頭を低くしても気にはしません。また、いざという時になんでもできるという余裕と自信があります。威張る人は余裕がありません。いざという時にあたふたします。自信のある人ほど、何が起きても柔軟に対応することができます。

弱さを知り、本当に弱さと向き合える人は、それを克服するため努力します。見せかけだけで無い、自分が本当に自信を持てるまで、あきらめず継続的に努力できる人です。たとえ、誰かに何かを言われても、折れることなく、自分の価値観を持ちブレずに物事に取り組みます。弱さを知り、努力できる人は、精神的に強い人です。また、弱さと強さの両方を知っているので、背伸びすることなく、巣の自分でいられます。また、弱さと向き合うことが、自分の成長につながることを知っています。自分の弱さを隠し、誰かに攻撃することは無意味であることを知っています。自分と向き合うことの重要性を常に肌で感じています。

世の中は非合理の上で成り立っている

私たちは、合理的な世界だけで生きてはいません。むしろ非合理な世界で生きています。誰かを好きになるとき、合理的に説明できるでしょうか。自分の心の底から溢れる感情に合理的な説明は難しいはずです。西洋的な合理主義はすべてを合理化、合理化できないものを排除しようとします。しかし、私たちは非合理な世界で生きています。何事にも合理化の上で割り切ろうとするから、苦労が絶えないのかもしれません。私たちには感情があります。苦しいことも楽しいことも感じることができます。本当の優しさ、強さは相手を受け入れる余裕のある心です。自分に余裕がない人ほど、非合理なものを受け入れようとはしません。

本当に強い人、自信のある人は、相手を受け入れる余裕があります。広い心を持っています。強さと弱さを知っています。協調性があり、心穏やかで、受け入れる心の大きさを持っています。利己主義的ではなく、他人に無関心ではなく、相手の立場で考えられる人です。そのような人は周りにいるでしょうか、また自分はそうなれているでしょうか。

見せかけだけの強さは、鋼のように脆いです。そのような人は、自分の価値観で判断できない事態に陥ると慌てふためき、どうすればいいのか分かりません。対応することができずに、自分の価値を超えるものを排除しようとします。本当に強い人は柔軟性があります。どのような環境下に置いても適応することができます。物事の両局面を知っているので、柔軟性があり的確に何事にも対応することができます。

自分の弱さを認めるのは勇気がいる

自分の弱さを認める事は勇気がいります。自分の弱さを認めてしまうと、相手から攻撃されたりするのではと恐怖を感じるからです。相手に奇異な目で見られて、軽蔑されることもあるかもしれません。弱さを見せることに恐れを感じ、相手の価値基準に合わせようとする人が多いです。常に相手の価値判断を頼りに生きているので、自分の価値基準を持てずにいます。また、相手の見方頼りなので、相手の価値基準が変われば、それに合うように自分の価値基準も変えなくてはいけません。そうなると、何が基準なのか、世の中全体がわからなくなります。また、常に相手に合わせるので、苦労が絶えません。

しかし、一度自分の価値基準を相手に左右されることなく、決める事ができれば、自分の価値基準に沿って生きればいいので、楽に生きることができるでしょう。また、生きることが楽しくなるかもしれません。今までに無い、精神的な楽さ、自由さを感じられるからです。

裸の自分をさらけ出す

裸の自分をさらけ出すことが大切です。何者の基準にもとらわれない、本当に自分がしたいこと、価値に集中すること。自分の弱さをさらけ出すことは怖いことです。相手に変に思われないか、自分の存在価値を下げないかと思うとなかなか表に出せないかもしれません。でも、一度でもそれができれば、あとは隠すものがないので楽に生きることができます。一歩踏み出せれば、まったく違う世界が待っているかもしれません。でも、その一歩が難しい。特に、これまで着飾ってきた人ほど、すべてを振りほどくのは相当勇気のいることでしょう。

でも、本当の自分と向き合えるかどうかで、今後の人生が違ってきます。隠すことに力を奪われず、前向きに努力することに集中できます。人の価値観に左右される必要がない。本当に自分がしたいことに打ち込むことができるようになるでしょう。それが、本当の幸せだとも思います。そして、そういう生活が送れれば、きっと相手にも優しくなれる。心の大きな相手を受け入れられる人間になれるでしょう。

少しずつできることをしていく

急に全部さらけだせと言われてもなかなかできないかもしれません。それならば、少しずつでもいいのです。小さなことでも自分と向き合ってみる。そして、できることから始める。小さな達成感が大きな成功へと導いてくれます。最初は自分の弱さと向き合えなくても、少しずつできるようになった自分を褒めてあげましょう。

そして、自分の価値観を持ちましょう。他人の価値観に振り回されるのではなく、自分が良いと思うことに集中する。でも、それは相手の意見を聞かないというのではありません。本当に強い人は相手の考えも受け入れることができます。心に受け入れる余裕があります。相手の考えにも耳を傾けつつ、自分の価値観を持って考える。これができれば人生はもっと楽しくなるでしょう。

世の中はすべて自分の考えで物事の見え方が違ってきます。自分が幸せだと思えれば、人生は幸せになるでしょう。本当に自分に自信が持てれば、相手の価値観で惑わされたり、不安にならずに、自分の進みたい方向へ集中することができます。自分の本心に向き合うには、自分の弱さとも向き合わなくてはなりません。本当の自分の声を聞くのならば、自分の全てに耳を傾ける努力が必要です。

現代は忙しい世の中に生きている。でも、本当の自分と向き合うことはとても大切なことです。ごまかし生きて行く人も多くいます。けれども、それでは心にゆとりを持って生きることは難しい。人に優しくなれず、見栄を張ってしまうかもしれません。本当に自分と向き合うのならば、弱い自分と向き合いましょう。弱い自分も、認めてあげましょう。そうすれば、強さが出てきます。自信が出てきます。人生が楽しくなってきます。幸せになれるでしょう。