あるファーストフード店で、以下のようなことがありました。

まだ未就学児を連れたお母さんが入店しました。セットメニューを頼み、席についてゆっくりしています。すると、子どもがだだをこねはじめます。どうも機嫌があまりよくなかったのか、店内で大きな声で泣きわめき始めました。店内にはわたしを含め数人しかいません。

けれども、お母さんは気を使い、荷物を席に置いて店の外で子どもが泣き止むようになだめます。そして、少し泣き止んだ所でまた子どもを連れて店に入っていきます。そのときに、あるおばさんも店内に入ってきます。そのおばさんも注文をして席につきます。

すると、子どもがまた機嫌をそこね、泣き始めます。すると、そのおばさんがイヤそうな顔で、その親子を見ています。お母さんは、また気をつかいお店の外で子どもをなだめます。

その様に堪え兼ねて、そのおばさんはお店のアルバイトを呼びます。そして、子どもに負けないくらいの大きな声で親子を店から出させるようにいいます。店側に責任があるということを説教しています。しかし、あまりにもそのおばさんの声がうるさいので、たまらず他の客がお店を出てきます。その客は、子どもがうるさいときはお店にいました。

たしかに、おばさんのいうことはわかります。お店の責任でもあります。ただ、結局はある意味おばさんも、その子どもと変わらないもしくはその子ども以上に不快な思いをさせるうるさい客になってしまいました。

このことには、賛否両論があることでしょう。ただ、それぞれの思いがあります。機嫌を損ねたけど店を離れたくない子どもの思い、食事したいけれど店内を気にして外でなだめる母親、子どもがうるさく店に説教するおばさん、子どものわめきは平気だけどおばさんの不快な声に耐えられない客、おばさんの対応に追われるアルバイト、それらすべてを感じとりなにも言わず静かに座っている自分。

もし、このお店が泣く子どもも、困るお母さんも、うるさいおばさんも、おばさんを嫌う客も、すべて対応できたらスゴい店になるでしょう。みなが愛するお店として、当然売り上げも上がります。

自分がお店をする立場なら、そのようなお店にしたいし、そういうお店に出会いたいと、それぞれの言動を感じ取りながら思っていました。ただ、みんな人と交わりたいと思っている。子どもも、おばさんも。そういう思いが叶えられるお店が、当然人気が出るのでしょうね。