人を批判する行為

人が人を批判することは、リアル社会でもネット社会でも本当によく見られる。ネットでは、「誰々の手法はよくない」「だからいつまでたっても雇われ」などなど、さまざまな批判が飛び交う。

なぜ、人は人を批判するのか。

たとえば、ビジネスでは同業者がいる場合、ライバル会社とは違いを見せて自社をアピールしたい。だから、ライバル会社のダメだと思われるところを批判して、自社のメリットや違いを見せる。

これは、個人商売でも同じだろう。同じようにネットビジネスしている人を、ダメだと思うところを批判して、「自分はそうやってない、自分はそうじゃない」ところをアピールして、売り上げにつなげる。

そしてもう1つは、自分が優位に立ちたいという意識。「あの人は、〜してるからだめ」「だから、あの人は〜できない」と、ようは、対象人物を自分より下に見ようとする。

なぜそのように、わざわざ見下そうとするのか。それは、自分の立ち位置をよく把握できていないか、埋もれてしまっているからと考える。つまり、自分が社会ではどの位置にいるかはっきりさせたい、もしくは大衆に埋もれてしまっている自分の存在を大衆と差異化して自己を主張したい。そのような欲求が、相手を批判する行為へと働きかける。

だから、ある種のコンプレックスを持つがゆえに、ついつい批判して自分の位置を人よりも高く見せようとする。大衆に埋もれたコンプレックスを強く持てば持つほど、誰かを批判しやすい。

逆に、自分に対してのはっきりとした意識や自分に対しての絶対なる自信を持つ人は、批判を行わない傾向にある。なぜなら、批判するだけムダなことだし、だいたいなんの基準をもって批判するのかも実は意味不明だったりするからだ。

そうして批判するということは、コンプレックスを持っているということであり、一時の批判行為で一時の自己満足を得るかもしれない。ただ、劣等感のコンプレックスは消えないので、また一生懸命批判しようとする。ようするに、コンプレックスに苦しめられる人生を送ることになる。

実は、いじめも似たようなもので、自分より弱いと思うものを見つけだし、自分を優位に立たせようとする。しかし、本当に弱いのは自分であり、そのことを必死に無視しようとするがゆえに、誰かを傷つけ無理矢理に自分を優位に立たせようとする。常に、競争意識や勝敗、強弱を意識する人は、コンプレックスから離れることはできない。だから、誰かを批判したり傷つけようとする。

けれども、本当の意味で自然に生きられる人は、そのようなコンプレックスから自分を開放することができ、共鳴したいと人から絶大なる支持を得ることが多い。これは、人生においていえることで、勝負ごとの世界にいると必ず負けがくる。たしかに、そういう世界は、エキサイティングするので楽しいかもしれないが、その世界だけがすべてではない。実は、もっと自然に生きられる世界があり、本当の意味での幸せは人々が安らげる世界。今日も誰かが、誰かを批判する。