本当に共働きの子どもはかわいそうなのか

お金がないので子供を作れないとはやめろ

「共働きの子どもは可哀想(かわいそう)」というひとがいる。でも、それは本当にかわいそうなのだろうか。小さい子どもの場合は親がいてあげるべきと考えることも間違いではない。たしかに、小さい子どもはなにをするかわからない。日々の暮らしのなかでも、たとえば電池を食べてしまったりと考えられないようなこともする。ただ、子どもを預けられる託児所や保育園もある。仮に幼いときには家事に専念して、子どもが保育園や小学校に上がるようになれば、共働きという選択肢もある。

たしかに、両親が共働きにより寂しさを感じることもあったという経験者もいる。しかし、必ずしもそうではない。親が共働きの子どもは保育園や学童クラブで活動することもでき、そこで新たな輪が生まれることもある。親以外の人間と触れ合うことも貴重な体験だ。

親が共働きでもさみしさを感じない

実は私自身も両親が共働きであったが、正直さみしさを感じたことはない、というか記憶にない。それはおそらく友人や他の大人たちと多く接する機会があったからだと言える。完全に一人きりなら寂しさを感じていたかもしれない。ただ、それは本人の考え方次第である。一人の時間を楽しく過ごせる児童ならば、さほど寂しさを感じないかもしれない。

ようは、かわいそうというのは他者の勝手な主観であって、必ずしも本人たちには当てはまらないということだ。ただ、そのかわいそうという言葉が伝染して、親が共働きの子ども自身が自分はかわいそうなのだと思ってしまう恐れがある。共働きの子ども全員をかわいそうだと思わないことだ。

ずっと親が家にいることが必ずしも幸せではない

考えてみてほしい。いつになっても毎日母親が家にいる家庭が必ずしもかわいそうではなく幸せな家庭だろうか。子どもが大人になるにつれて、ガミガミものをいう母親も少なくない。たとえ、親が家にいても非行に走る子どももいるだろう。いや、逆に家に親がいるからぐれることもある。

ようするに、子ども本人の考え方次第だ。親が本当に家族を思って共働きしていれば、いつかきっと子どもにもその姿がわかるだろう。そのとき、子どもはきっと感謝するはずだ。もし、親が共働きをしていた子どもが大人になってもあのときは悲しかったと今でもつぶやくようなら、それは子ども本人が親のがんばっていた姿をわかっていないということだ。ひとの影のがんばりをわからないひとは、おそらく家庭を持ってもなにかしらを問題を生じる。それこそ、自分の考えを子どもに押し付けて、簡単に子どもをグレさすであろう。

共働きの子どもがかわいそうかは、ただの勝手なご意見でしかない。そういうひとたちは、その家族の繋がりを見ていない。これは経験者だからこそいえる。共働きの子どもがかわいそうであれば、わずかな収入でしか暮らせない家庭もいる。両親が賢明にがんばるからこそ家庭が活気づき、その姿勢を子どもは見ているし、いつか気づくはずだ。だから、共働きの子どもはかわいそうではない。