2016年4月に、シンザト・ケネフ・フランクリン容疑者が島袋里奈さんを殺害した事件について、事件状況やその後の経過、自分の考えも含めて、ここに述べていきたいと思う。

もうこのような残酷で悲しい事件が起きないよう、そして、島袋里奈さんが安らかに眠れるように。

目次

米軍属のシンサド(新里)・ケネス・フランクリン容疑者(当時32歳)

島袋里奈さん安らかにお眠りください

事件を知った時、書かずにいられない、どうしようもない怒りと虚しさと悲しさが身体中を駆け巡った。2016年4月28日木曜日夜、沖縄県うるま市の女性会社員、島袋里奈さん(20歳)がシンサド・ケネス・フランクリン容疑者に殺された。無残な姿で森林に遺棄されていた。シンサド・ケネス・フランクリン容疑者は、新里という名前で、妻も子供もいた。おそらく「新里」から、沖縄出身の奥さんがいたと思う。ちなみに、メディアでは、シンザト・ケネフ・フランクリンもしくは、シンサド・ケネス・フランクリンで実名が発表されている。

沖縄県うるま市太田の女性会社員、島袋里奈さん(当時20歳)

沖縄県うるま市太田の女性会社員、島袋里奈さん

島袋里奈さんは、20歳で既に会社員として働いていた。誰かの役に立ちたいと健気に頑張る女性。職場からはアイドル的な存在で誰からも慕われる可愛い女の子だったという。

島袋里奈さんはうるま市で1時間のウォーキングをしていた

ウォーキングをしている帰りの事件

島袋里奈さんは、1時間のウォーキングを日課にしていて、事件当日も夜8時からウォーキングをしていた。夜8時は沖縄ではまだ夕暮れ直後くらいで、そんなに物騒な時間帯ではないのだけれども、それでも事件現場は夜には真っ暗に近い歩道を歩かなければいけなかった。ネットの情報では不良のたまり場としても有名らしい。

島袋里奈さんには同棲中の彼氏がいた

島袋さんには同棲中の彼氏がいた

また、島袋里奈さんには同棲中の彼氏もいて、両親公認のもと、付き合っていたそうだ。ウォーキングに出る前も、彼氏にライン(LINE)で連絡を入れていた。そうして、ウォーキングに出て、一時間近く経過し自宅に戻ろうとした、まさにその時に事件が起きた。

米軍属のシンザト・ケネフ・フランクリン容疑者は2〜3時間、レイプできる女性を物色していた

殺人犯の物色

シンサド・ケネス・フランクリン容疑者は、米軍嘉手納基地で勤務していてインターネット関連のコンピューターや電気配線の仕事に携わっていた。元海兵隊員で、2014年に海兵隊を辞め、事件当時は米軍属として、第一線からは離れて、基地でコンピューター関係の仕事についていた。そして、当日、シンサド・ケネス・フランクリン容疑者は自分の車(Yナンバー)で、2〜3時間、米軍嘉手納基地近くを走られ、信じられないことに、強姦暴行できる女性を探していた。そこで目に入ったのが、島袋里奈さんだった。

島袋里奈さんは偶然通り掛かっただけだった

後ろから、島袋里奈さんの頭を棒で殴り、近くの草むらで強姦(レイプ)した。激しく抵抗する島袋里奈さんを刺し首を絞め殴り殺害し、スーツケースに包み、恩納村の雑木林に島袋里奈さんの遺体を捨てた。島袋里奈さんの遺体は死後約3週間経過しており、司法解剖で死因は特定できなかった。あばら骨には刃物によるものとみられる傷が複数あったが、遺棄後にできた傷の可能性もあり、県警は慎重に調べていた。骨にまで達する刃物の傷跡から、シンサド・ケネス・フランクリン容疑者は島袋里奈さんに対して執拗にかなりの傷を負わせていたものと考えられる。このような行動から、普通の人間では到底考えられない悪魔のような精神異常者であることがわかる。

島袋里奈さんが持っていた鍵のストラップ

島袋里奈さんは当時、家のガキを持っており、島袋里奈さんが当時持っていた鍵のストラップと同じものがついた鍵が事件現場近くの水路から見つかった。また、島袋里奈さんが履いていたとみられる赤いジョギングシューズも見つかっている。死後から3週間あまり経過していたので、島袋里奈さんは死後経過し一部白骨化していた。また、先ほどにも述べたように、遺骨から刃物で傷つけられた傷跡があり、シンサド・ケネス・フランクリン容疑者の車内から島袋里奈さんの血液跡DNA型が残っていた。さらに、彼氏から4月29日金曜日祝日午前2時頃に送られたLINEメッセージ(「今から帰る」)は既読されており、シンサド・ケネス・フランクリン容疑者が生存偽装を計った可能性が高い。島袋里奈さん行方不明後、コンビニで塩を購入し、自分の車(Yナンバー)に塩を撒く様子が防犯カメラに残っていた。

シンサド・ケネス・フランクリン容疑者はニューヨーク生まれ

シンサド・ケネス・フランクリン容疑者はニューヨーク生まれ

米軍属のシンサド・ケネス・フランクリン容疑者は、ニューヨーク生まれで11歳までニューヨークに住み、その後、海兵隊となり日本へ移住した。シンサド・ケネス・フランクリン容疑者は2007~14年に海兵隊に所属していたという。シンサド・ケネス・フランクリン容疑者は、少年時代は内気でいじめに遭い、11歳の頃には学校に行きたがらなくなっていた。シンサド・ケネス・フランクリン容疑者の母親であるシャーリー・ガドソンさん(当時63)は未婚の母として同容疑者を育てた。

母親は「彼がやったとは信じられない。いろいろな思いが入り乱れ、心が痛い」と話していた。ガドソンさんが最後にシンサド・ケネス・フランクリン容疑者と連絡を取ったのは、事件の2年前で、事件のことは5月19日木曜日に日本の警察から電話を受けて逮捕を知った。また、母親のガドソンさんは、シンサド・ケネス・フランクリン容疑者が日本人女性と結婚し子供がいることも知らなかったという。また、ニューヨーク実家の近所の人は「(幼い頃)彼は良い子でした。私の知る限り、誰にも迷惑をかけていなかった」と言っていた。県警は5月21日(土)に現場周辺やシンザト容疑者の自宅などを捜索した。

シンサド・ケネス・フランクリン容疑者はリンクトイン(Linked in)を使っていた?

シンサド・ケネス・フランクリン容疑者はリンクトイン

シンサド・ケネス・フランクリン容疑者と同姓同名の人物は米ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の「リンクトイン」に、沖縄県在住で日本語は「あいさつレベル」との情報を投稿していた。メリーランド大ユニバーシティカレッジ校によると、同じ名前の人物が通った記録がある。メリーランド大ユニバーシティカレッジ校は、沖縄の基地内に軍人用の分校もあり、射撃のコーチを務めていたとの情報もある。

シンザト・ケネフ・フランクリン容疑者の妻子

シンサド・ケネス・フランクリン容疑者家族

シンサド・ケネス・フランクリン容疑者には日本人の妻がおり、子供も一人いた。事件当時、生後わずか数ヶ月で、事件よりわずか前に生まれていた。もしかしたら新婚夫婦の可能性もある。また、ネットには2016年3月下旬に義父がリフォームした家に引っ越したという情報もあり、リフォーム前は妻の両親が住んでいた。リフォーム後はシンサド・ケネス・フランクリン容疑者夫妻と子供が住み、妻の両親は近くに住んでいた。シンサド・ケネス・フランクリン容疑者は義父にもお世話になり、肩身の狭い思いをしていた可能性がある。結局は、義父の好意を踏みにじる結果となった。

シンサド・ケネス・フランクリン容疑者家族は基地から約20km南の沖縄県与那原町にある戸建て住宅に住んでいた。近くの男性(当時52歳)によると、住み始めたのは2016年4月下旬で、妻と乳児を連れ、菓子折りを持ってあいさつに訪れたそうで「体格は大きかったが、怖そうな印象はなかった」と話す。隣人の男性(当時21歳)は「道で目が合うと、すぐそらされた。人見知りだな、と感じた」と言う。

転居前に住んでいた同県沖縄市のアパートに住む女性(当時36歳)は「うちの子どもと外で会うと『コンニチハ』と笑顔であいさつしてきた。やさしい感じだった」と話した。このことから、シンサド・ケネス・フランクリン容疑者は一見優しそうなイメージで、内気な性格が感じ取れる。しかし、内面は若い女性をレイプし殺してしまう、恐ろしい精神異常者だった。シンサド・ケネス・フランクリン容疑者を知る周りの住民は、あまりのギャップに驚きを隠せないでいた。

シンザト・ケネフ・フランクリン容疑者は自殺を計った可能性がある

シンサド・ケネス・フランクリン容疑者自殺を試みた

シンサド・ケネス・フランクリン容疑者は警察から任意の事情聴取を受けた際に声が震えるなど動揺した様子で、事情聴取後は、大量のお酒と睡眠薬を摂取し自殺を図り、2度救急搬送された。5月17日(火)午前7時半頃に睡眠薬を多量摂取して救急搬送される。翌日、5月18日(水)午前11時頃にウィスキー瓶2本分を大量に飲んで嘔吐し、同じく救急搬送された。このことから、事件後のシンサド・ケネス・フランクリン容疑者はかなり情緒不安定な状態であったことが予想される。また、「当時は精神的に不安定で自殺しようとした」とシンサド・ケネス・フランクリン容疑者は話すが、あまりに身勝手な考えである。

ただし、逮捕された5月19日(木)は、逮捕直後で同様していたが、5月20日(金)には落ち着き、5月21日(土)には正常な状態に戻ったとシンサド・ケネス・フランクリン容疑者は言う。また、県警の取り調べに対して5月20日(金)以降は黙秘権を行使し、日本語で書かれた調書には署名しないようにしていた。このことからも、自分の欲望のために若い女性の命を奪いながらも罪の責任から逃れようという、あまりに身勝手な悪魔のような心が見える。

米軍の減らない犯罪と偽りの綱紀粛正

米軍の減らない犯罪

米軍は綱紀粛正すると言いながらも犯罪を繰り返す。島袋里奈さん強姦殺人事件よりわずか数ヶ月前にも、日本人女性が狙われた米軍人(米兵)による準強姦未遂が起きている。また、島袋里奈さん事件後も米軍人による飲酒運転事件が起きている。はっきり言って、アメリカ軍基地が沖縄にある限り、日本人女性の被害はなくならないだろう。

今後もアメリカ軍基地が沖縄にある限り、米兵によるレイプ強姦殺人が起きる可能性が高い。いや、起きると言ってもいいかもしれない。残念なことにすべてのアメリカ軍人が善人ではない。もちろん、良い軍人がいるのもわかる。けれども、人の命を、女性の尊厳をなんとも思わない、鬼畜が確かに米軍の中にいる。

島袋里奈さん強姦殺人事件に関するアメリカ人の反応

アメリカン人の事件の反応

個人的に、アメリカ人の黒人女性が知り合いにいるので、事件のことについて聞いてみた。まず最初の彼女の反応は、聞かれたことにうんざりしていた。なぜなら、日本国内に住む彼女は、同じような質問を何回もされていたから。そして、次に出た言葉は、「アメリカ軍人すべてがそうではない、また日本人にも同じような事件を起こす狂った人がいる」という言葉だった。そして、「外国人の犯罪は目立つもの。仮に日本人がハワイで起こした事件も同じことが言えるし、アメリカでも外国人の犯罪が目立ってしまう」と言う。

暗い世の中、何も変わらない

つまり、彼女は米軍だけではなく、他の国も同じように罪を犯していると言いたいのだ。確かに犯罪は悪い、でもアメリカ軍だけが責められることではないと言っていた。これは正論だし、でも、正直言うと、この答えについて違和感が残った。「どこの国も犯罪を起こしているのだから、お前(日本)も悪い」と聞こえた。何も解決しない、この現状を変えられない、重く冷え切った答えが返ってきた。

彼女は、シンサド・ケネス・フランクリン容疑者を非難することが、アメリカ人全員を非難しているように感じ、この話について自国民を守るために拒絶反応を起こしているように感じた。この時、他国との間で、事件や戦争など、国のプライドに関わる話をするのは難しいのだな、と正直思った。それぞれの見方があり、お互いが自国民を守ろうとする。だから世界中で争いが絶えないのかもしれない。結局のところ、皆自分のことしか考えていないのだ。

沖縄に米軍は必要なのか

そこで、もう一歩踏み込んだ。それは、米軍が日本にいる必要があるかということ。これについて、アメリカ黒人女性の彼女は、「米軍が日本にいる必要はない」と言い切った。この時、求めていた答えがようやく聞けたような気がした。つまり、犯罪はどこにでも起こりうる。しかし、防ぐためには米軍がいる必要があるか問うこと。日本はこれほどまでに戦後、米軍による犯罪被害に苦しみながらも、未だに米軍を日本国に置いている。

自国を守るつもりが、いつもいつまでも変わらずに、アメリカ軍人による日本国民に心身に深い傷をつける犯罪が起こっている。昔から今も変わらずに。これからも。ずっとその先も。そして、若い20歳の女の子が、罪もない女性の命が奪われた。それでも、米軍が沖縄から撤退することはない。アメリカとの外交関係や近隣国との牽制を気にして。

戦争なんてなくなれば良い

戦争なんてなくなればいい、戦争なんて考えなければいい。戦争していないのに、戦争による被害者が出た。結局は人のエゴで、自分勝手な敵視・否定的な感情が、人の大切な命を奪っていく。この世界は争いが絶え間なく起こり、関係のない人たちが犠牲になっている。人と争いながら、正義を振りかざしながら、一人の女性の命も守れない世の中に生きていることがとても辛い。

どうして世の中はこんなにも不公平なのか

不公平な世の中・世界は平和ではない

世の中の不公平さを感じずにいられない。島袋里奈さんはたまたまシンサド・ケネス・フランクリン容疑者に見つけられレイプされ、殺されてしまった。大柄な黒人男性にわずか152cmの小柄な島袋里奈さんが襲われた。それがどんなに怖かっただろう、どんなに悔しかっただろう。力では何もできず、必死に抵抗しても殴られ首を絞められ、刃物で刺され殺された。

涙はどれほど流していたのだろう、全身はこわばり、悔しさで何かを握りしめ懸命に耐えていたかもしれない。どれほど怖かっただろう、どれだけ痛かっただろう、当日、たまたまその道を通っただけで、島袋里奈さんは奇人に襲われ命を落としてしまった。20歳というこれからという人生を、シンサド・ケネス・フランクリン容疑者の悪魔が宿った欲望によって人生を奪われてしまった。(ケネス容疑者の弁護人を務めたのは高江洲歳満弁護士)。

ケネス被告、殺意を否定 – 2017年2月14日

ケネス・フランクリン・シンザト(旧姓ガドソン)被告側は強姦致死と死体遺棄の罪については起訴事実を認める一方で、殺人罪については殺意がなかったとして否認している。また、「(事件が起きたあの場所に)あの時居合わせた彼女(被害女性)が悪かった」との認識を示し、何の罪もない、島袋里奈さんに責任転嫁しているようにも見える。

「米国の人には思いを伝えたい」というのがケネス被告の要望で、ケネス被告は「棒で殴った上で意識を失わせ、スーツケースに入れてホテルに連れ込み暴行しようとした」として、それ以上の危害を加える意図はなかったとし、日本の法制度では女性暴行は親告罪で、被害者による通報率も低いとして「逮捕されることについては全く心配していなかった」とした。

暴行しようとした動機については、「高校時代から女性を連れ去り暴行したいとの願望があった」と供述している。犯行当日は、その欲求が高まっていた。幼少時から幻聴に悩み続け、自殺を図ったこともあるいう。弁護側は被告の幻聴が長く続いてきたなどとして、那覇地裁への精神鑑定の申請を検討している。

遺族の手記 – 2017年4月27日 里奈さんの父親より

元海兵隊員で米軍属の男による女性暴行殺人事件から1年。遺族が寄せた手記の全文は次の通り。(ただし、被害者の名前は伏せました)娘を失ってから1年になりました。今でも、恩納村に献花に来てくださる県民、他県民の皆様、また遺族を支援してくださる皆様に、心より感謝申し上げます。

今も、娘を思いながら、手を合わせ供養する毎日です。1年になるのですが、娘への思いは何も変わることはありません。今、私たちが娘に伝えたいことは、痛く苦しい思いをさせてしまったね、でも今は安らかに眠ってね、ということです。

これから裁判があるのですが、私から被告人に言うことは何もありません。被告人が、弁護人を通して、新聞、ラジオ等で身勝手な発言をして、報道されているのは知っています。

私たち遺族は、被告人を許すことはできません。いかなる言い訳も通用しないし、信用しません。被告人は人ではないのですから、私たち遺族は極刑を望みます。今なお、米兵や軍属による事件事故が相次いでいます。それは、沖縄に米軍基地があるがゆえに起こることです。1日でも早い基地の撤去を望みます。それは、多くの県民の願いでもあるのですから。

1年間いろいろなことがありました。私たち遺族は、皆様のあたたかさに救われています。娘を失った悲しみは消えませんが、これから先も娘を思い、供養していきます。

初公判までの見通しは立っていない – 2017年4月28日

殺害事件から28日で1年となるのを前に、里奈さんの父親は「痛く苦しい思いをさせてしまった。今は安らかに眠って」などとした手記を公表しました。父親は「1年になるが、娘への思いは何も変わらない」と記し、「悲しみは消えない。これから先も娘を思い、供養する」と無念の思いをつづっています。

起訴された元軍属シンザト・ケネフ・フランクリン被告は、公判で殺人罪を否認するとみられる。手記では、これまでの被告の発言を「身勝手」と批判し、「いかなる言い訳も信用しない。極刑を望む」と求めました。その上で、「米兵や軍属による事件事故は、沖縄に基地があるが故に起こること。一日も早い基地の撤去を望む」と訴えています。

やはり、里奈さんのお父様も、沖縄に基地がある限り、悲しい事件が起こることを感じているのです。基地があることで、本当の意味で誰が幸せになるのでしょうか。どれほどの犠牲者が生まれているのか、考えるべきです。

また、事件発生から1年が経過しても、初公判までの見通しは立っていません。司法関係者は被告が外国人のため公判前手続きに時間がかかっていると指摘しています。遺族への被害補償も進んでいない状況で、検察関係者は「一般論」とした上で、外国人被告には書類の内容を本人に理解させるのに時間がかかると指摘しています。さらに「量刑のみが争点となっている場合と比べ、今回の事件は故意性を争っている。慎重な証拠の検討が必要になる」との見方を示しました。

刑事事件の経験が豊富な弁護士も同様に、被告が外国人のため対話に課題があること、重大事件で慎重に証拠を検討する必要があることなどから、公判前整理手続きに長期の時間を要していると見ています。

ケネス被告の主任弁護人を務める高江洲歳満弁護士は被告の刑事責任能力や殺意の有無を争点に挙げ、米国からの資料収集に時間と翻訳作業に時間を要するとしています。高江洲弁護士は「被告は米国で生活していたころにうつ病、注意欠陥多動性症候群、行為障害の診断を受けていた」と主張するが、鑑定費用がかかることを理由に「精神鑑定を実施する方針はない」としています。

公務外の事件・事故で米軍人・軍属が被害者から賠償請求を迫られた場合、支払い能力がなければ日米地位協定に基づき米国が慰謝料を払います。しかし、支払いまでに長時間を要しているのが通例です。特に今回の場合、刑事裁判のめどが立っていないため、被害者救済は遅れる恐れがあります。

過去に米軍事件の被害者支援に当たった経験のある捜査関係者は「今回の事件は、過失による自動車事故などとは比較にならないほど悪質。日米両政府は最大限誠実な対応をしなくてはならない」と求めています。

このように、事件から1年経過しても、初公判までの見通しが立っていないのです。遺族は大きな悲しみと痛みを受けたにもかかわらず、事件は未だ解決されていません。

元米軍属の男が殺意否認 地裁初公判 – 2017年11月16日・17日

沖縄県うるま市で2016年4月、女性会社員(当時20)を暴行し殺害したとして、殺人罪などに問われた元米海兵隊員で軍属だったシンザト・ケネフ・フランクリン被告(33)は16日、那覇地裁(柴田寿宏裁判長)の裁判員裁判初公判で、裁判長から認否を問われると「殺すつもりはなかった。気絶させて乱暴した後、解放するつもりだった。」と淡々と述べ、殺人罪の起訴内容を否認しました。

また他の記事では、起訴内容の認否で「女性を気絶させてホテルに連れて行き、性的暴行をした後に解放するつもりだったが、思うように気絶しなかったため、パニックになって計画通りに進めることができなかった」と主張したと伝えられています。弁護側は、女性を棒で殴ったことと首を絞めたことは認めた上で「二つの行為は殺意をもって行ったものではなく、殺人罪は成立しない」と述べ、暴行現場で女性をナイフで刺したことについては否認しました。また、弁護側は「被告は暴行現場では刺しておらず、殴って草むらに連れ込んだ際、女性が頭を強打して死亡した可能性がある」などと反論しました。

強姦致死と死体遺棄の罪は認めています。米軍関係者による凶悪犯罪が度重なる中、今回の事件に沖縄の怒りと反基地感情が噴出しており、市民から選ばれた裁判員が量刑などをどのように判断するか注目されています。被告人質問で、シンザト被告は「黙秘権を行使します」と述べ、一切の供述を拒否。弁護人によると、当日になって被告が黙秘の意向を伝えてきたといいます。

被告は証言台の席に座り、検察、弁護側双方の被告人質問に全て黙秘。約5分間、重苦しい空気が法廷を包みました。被告人質問に続き、検察官2人が逮捕当初の取り調べのやりとりを再現。裁判員6人のうち5人は女性で、被害女性が襲われた場面に話が及ぶと、沈痛な様子で顔をしかめた。やりとりの中では殴った目的を問われた被告が「テレビで見ました」と答えるなど、かみ合わない所もありました。

乱暴目的を遂げられなかったことについて被告が「努力に結果が見合わなかったのは残念」と述べた供述書を、弁護側が読み上げると、傍聴席の遺族関係者は肩を震わせた。被告は閉廷後、弁護士と言葉を交わして笑顔をみせるなど、終始落ち着いた様子だったといいます。

検察は、女性を刃物で刺したことや恩納村の山中に置き去りにしたことなどから、少なくとも「女性が死んでも構わない」という殺意はあったとして殺人罪などで起訴しました。一方、愛する娘を失った遺族は「被告を許すことはできない」と悲痛な思いを胸に黒い喪服姿(被害女性の父親は、喪服に使われる黒色の「かりゆし」を着て審理に参加。)で裁判に臨み、法廷にはすすり泣く声が聞こえたそうです。

被害女性の父親は、法廷に入るシンザト被告の表情をじっと見つめ、検察官が殺害状況を説明すると、涙を何度もぬぐい、傍聴した遺族の女性は震える手に持ったハンカチで顔を覆い、むせび泣いたといいます。

在沖縄米軍トップのニコルソン四軍調整官は記者会見で、米軍属による女性殺害事件の初公判に関連し「考えられない犯罪だ。1年半たった今も受け入れることは難しい」と被告を非難しました。

シンザト被告は、県内の女性と結婚して幼い子もいましたが、事件後に離婚しました。また、日本語はほとんど話せず、法廷でのやりとりも通訳を介しました。那覇地裁には朝から傍聴席の抽選に498人が集まり、申込者は「被告の姿や声を心に刻み、事件を忘れないようにしたくて来た」と話しました。

シンザト・ケネフ・フランクリン被告(33)の裁判員裁判が17日、那覇地裁(柴田寿宏裁判長)であり、遺体を鑑定した医師が「被害者の骨には鋭い刃物で背中から刺された痕があった」と証言した。裁判では殺意の有無が争点になっています。

医師は検察側証人として出廷。証言などによると、遺体は服を着た状態で白骨化し、右肩に骨を貫通する損傷が認められた。肋骨には後ろから刺された際にできたとみられる骨折があった。死因は特定できませんでした。

17日に開かれた裁判員裁判2日目の審理では、被害者参加した女性の父親が法廷で意見陳述した父親は「一人娘を失った悲しみ、苦しみ、そして憎しみ、怒りがあります」と述べた上で、「極刑を望みます。命をもって償ってください」と訴えました。また女性の母親も弁護士と共に法廷に立ち、弁護士が、「私の心は地獄の中で生きています」などとつづった母親の手記を代読した。シンザト被告に対する判決は12月1日に言い渡されます。

元米軍属に無期懲役求刑 – 2017年11月24日

 沖縄県うるま市で昨年4月、女性会社員(当時20)を暴行し殺害したとして、殺人などの罪に問われた元米海兵隊員で軍属だったシンザト・ケネフ・フランクリン被告(33)の裁判員裁判が24日、那覇地裁(柴田寿宏裁判長)で開かれました。検察側は「極めて残酷で身勝手な犯行だ」として無期懲役を求刑しました。弁護側が最終弁論で殺意を改めて否定し結審。判決は12月1日。

シンザト被告は「殺すつもりはなかった」と殺意を否認する一方、強姦致死と死体遺棄の罪は認めており、殺意の有無が争点となっています。論告で検察側は、被告の逮捕直後の供述に基づき「ナイフで首の後ろを3~4回刺した。後頭部も棒で5~10回殴打しており、殺意が認められる」と主張した。

その上で、ナイフや遺体運搬用のスーツケースを用意するなど計画性を指摘。「何ら落ち度のない被害者を通り魔的に襲い、未来を奪った結果は重大。遺族への真摯な謝罪はなく、反省は皆無だ」とした。「死刑求刑も検討に値したが、他の事件との均衡などを考慮すると、ちゅうちょせざるを得ない」と述べました。謝罪や反省の態度もないため「死刑を検討する事案」とした上で、求刑は逮捕前に事件への関与を自供したことや国内での前科がないことなどを考慮したといいます。

公判で被告は黙秘を貫いたが、検察側は論告で、逮捕直後の警察に対する供述から被告が被害者を打撃棒で殴ったり首を絞めたりしたほか、ナイフで首の後ろ付近を刺したことが認められるとして「命を奪う危険性を分かりながら行為に及んでいるのは明らか」と指摘しました。

弁護側は「逮捕当初の供述は信用できない。暴行の際、女性が地面に頭を強く打って死亡した可能性がある」とし、殺人罪は成立しないと反論した。最後に「判決に際し、米軍基地への不満は忘れてほしい」と訴えています。

被告は最後に「私は本来悪い人間ではない。こんなことになったのは意図していなかった」と述べ、遺族側の代理人は意見陳述で、「遺族の悔しさ、悲しさは計り知れない。死刑を求めます」と述べています。

元米軍属に無期懲役判決 – 2017年12月1日

那覇地裁(柴田寿宏裁判長)は1日、殺人や強姦(ごうかん)致死などの罪に問われた元米軍属のケネフ・フランクリン・シンザト被告(33)に対し、柴田寿宏裁判長は「身勝手な動機で酌量の余地はない」と述べ、求刑通り無期懲役の判決を言い渡しました。被告は初公判の罪状認否の後、黙秘を続けていたが、最終陳述では「私は悪い人間ではない。このようなことになったのは私の意図したことではない」と述べました。

事件を受け、沖縄では日米地位協定の見直しを求める声が沸騰。日米両政府は2017年1月、軍属の範囲を縮小する補足協定を結ぶなど、政治的にも大きな影響を与えました。柴田裁判長は判決理由で「当初から殺害目的だったとまでは認められない」としながらも「人を死亡させる危険性の高い行為をあえて実行しており、殺意が認められる」と指摘し、「成人式を終えたばかりで命を奪われた被害者の無念さは計り知れない」と述べました。弁護側は「地面に頭を打って死亡した可能性がある」などと主張したが、同裁判長は「後付けの疑いが濃厚で信用できない」と退けました。

その上で「身勝手な動機で酌量の余地はなく、計画性も認められる。刑事責任は重大で、自白によって遺体が見つかったなどの事情を考慮しても、無期懲役より軽い刑を科す理由はない」と結論付けました。

被告人質問などでほぼ黙秘を続けた被告は白いTシャツと紺色のズボン、サンダル姿で入廷。通訳で判決が伝わると顔をしかめ、落ち着かない様子をみせたようです。入廷したケネス被告は、裁判長が判決理由を読み上げる約40分の間、深く椅子にもたれ、机の上に左ひじをついて聞いていました。

この日、女性の両親は喪服姿で傍聴。判決を聞くと青いタオルで顔を何度も拭い、鼻を真っ赤にして天井を見上げた。ケネス被告と向き合う形となった父親は時々、被告に視線を向けてはすぐに目をつぶったり、視線を下に向けたりしていました。傍聴席に座った母親は、判決理由が朗読される間、ピンクのハンカチを握りしめて口元を覆い、何度も涙を拭った。ケネス被告の方向をじっと見つめる場面もあったといいます。

裁判長が「残された両親が、犯人に対して極刑を求めるのは当然」「人の命を大切に思う気持ちが少しでもあれば、途中でやめることができたはず」などと読み上げ、両親がうなずく場面もありました。被告が法廷から立ち去ると、被害者の母親は両手でハンカチで顔を覆い、こらえきれなくなったように「あぁー」と泣き崩れ、その声が法廷内に響きました。閉廷後、母親は付き添う女性らに抱きかかえられるようにして法廷を後にしています。

那覇地検は「検察の主張・立証がおおむね認められた」とコメント。被告の弁護人の高江洲歳満弁護士は「(裁判員裁判の)判決に反基地感情が反映されたかは分からないが、本人は落胆していると思う。意思を確認した上で控訴するかどうか決めたい」と述べました。

この中で、父親は「1年半を経てようやく裁判になりました。長かったです。真実が知りたくて裁判に参加しました。私たちは死刑を望みましたが、願いは叶いませんでした」としています。そのうえで、「娘は、痛み、苦しみのなかでこの世を去りました。死刑の適用基準というもので被告は極刑をまぬがれ黙秘権も法で認められています。遺族には殺した人数や前科は関係ない」としています。

また、シンザト被告に対しては「自分が犯したことについての反省もみられず、平然としていました。人としての感情が欠けているように見えました。真実を述べてほしかった。私たちと娘に謝ってほしかった。被告を許すことはできません」という思いを示しました。

極刑を求めていた遺族は「私たちは日々悲しみ、苦しみの中にいる。それは生きている限り続くだろう」とやりきれない悲しみを抱え、「私たちが娘にしてあげられるのは、娘の痛み、苦しみを取り除き、成仏させてあげることだけです。これからも娘を思い供養していきます」と結んでいます。

菅官房長官は午後の記者会見で、「この事件は将来ある若い女性に対する極めて残忍、凶悪な事件で、米軍による事件・事故はあってはならない。大切なお嬢さんを亡くされた、ご両親、ご遺族の皆さんに改めてお悔やみを申し上げ、心から哀悼の意を表したい」と述べました。

そのうえで、菅官房長官は「政府としては、事件・事件の防止には、まずは米側の努力が重要であるとの認識のもとに、米側に対して隊員の教育や綱紀粛正、再発防止の徹底を機会あるごとに強く申し入れてきている。今後、こうしたことが二度と再び起こることがないよう徹底していきたい」と述べました。

翁長雄志知事は「このような事件が二度と起こることのないよう、米軍に米軍人や軍属などの綱紀粛正、再発防止、教育の徹底などを改めて強く求めていく」とするコメントを発表しました。翁長知事は、将来への大きな夢を抱き、社会の一員として地道に努力する若者の尊い命を奪った今回の事件は「実に痛ましい」とし、「本人や家族の無念さを思うと、今なお心が痛む」と述べています。

判決受け遺族ら追悼 – 2017年12月3日

女性の遺族ら約10人は3日、事件現場を訪れました。元米海兵隊員で軍属だったケネス・シンザト被告(33)がこの2日前に無期懲役判決を受けており、遺族らは手を合わせたり、花を手向けたりして追悼しました。女性の父親らは正午すぎ、遺体が遺棄された恩納村の雑木林を訪れ、多くの花束やジュース、折り鶴が供えられた献花台の前で約30分間、祈りをささげ、父親は最後に深く頭を下げ、静かに立ち去りました。

本人に支払い能力がない上、在日米軍も補償に応じない姿勢を示している – 2018年3月16日

那覇地裁が元米軍属ケネフ・シンザト被告(一審無期懲役、控訴中)に遺族への損害賠償を命じましたが、本人に支払い能力がない上、在日米軍も補償に応じない姿勢を示していることがわかりました。

日米地位協定では、公務外の米軍人らの不法行為に対する請求権を規定しています。本人に支払い能力がない場合は米側が補償金を支払うことになっているのですが、在日米軍は取材に対し、「シンザト被告は民間企業の社員。地位協定などで規定する請求対象ではない」としているようです。

殺人罪などに問われたケネフ・フランクリン・シンザト被告は2017年12月、那覇地裁で無期懲役の判決を受け控訴中です。また同地裁は2018年1月、損害賠償命令制度に基づき、被告に賠償を命じる決定しましたが、賠償額は公表されていません。

日米地位協定では、「米軍構成員または被用者」が起こした事件や事故について、本人に賠償金の支払い能力がない場合、被害者側は米政府に補償金を請求できます。今回、被告は支払えないと主張しており、遺族側は防衛省を通じて請求の準備を進めています。

ただ、先ほどにも述べたように、政府関係者によると、これまでの折衝で米側は、民間企業に雇われた軍属だった被告は「米軍の被用者」には該当しないとの見解を示し、補償金の負担に消極的のようです。小野寺五典防衛相は記者会見で「日米地位協定の解釈などについて米側と協議している」と述べました。

なお、日米間には、米側の補償額が民事訴訟の賠償額に満たない場合、差額を日本政府が負担する制度もあるとのこと。

日米両政府が見舞金を支払う方針 – 2018年6月21日

今回の事件で遺族が補償を求めている問題で、日米両政府が見舞金を支払う方針を固めたことが、日本政府関係者の話でわかりました。

米側は当初、男が米政府の直接雇用ではないなどとして、「日米地位協定に基づく補償対象にはならない」と支払わない意向を示してきましたが、特例的に応じるとみられます。

那覇地裁は2017年12月、殺人罪などに問われた元米軍属のケネフ・フランクリン・シンザト被告(34)に対し、無期懲役の判決を言い渡しました(被告が控訴中)。

2018年1月には、同地裁が損害賠償命令制度に基づき、遺族に賠償金を支払うよう命じる決定を出しました(賠償額は明らかにされていない)。

決定を受け、遺族が同年3月、日米地位協定に基づき、米側の窓口となる沖縄防衛局に請求を申し立てていました。

日米地位協定では、米軍の構成員か被用者が公務外に起こした不法行為について、本人に支払い能力がない場合、米国政府に補償金を請求できるとしています。

現在、具体的な金額や支払い方法、時期などについて日米両政府が調整している模様です。

なお、菅官房長官は2018年6月21日の記者会見で、「米側との間で様々なレベルで協議中。政府としては誠心誠意、取り組んでいる」と述べています。 

米軍属暴行殺人事件、元米軍属に二審も無期 福岡高裁那覇支部 – 2018年9月20日

沖縄県うるま市で2016年、女性会社員=当時(20)=を暴行、殺害したとして殺人罪などに問われた元米海兵隊員で軍属だったケネス・シンザト被告(34)の控訴審判決で、福岡高裁那覇支部(大久保正道裁判長)は20日、無期懲役とした一審那覇地裁判決を支持し、被告の控訴を棄却しました。

弁護側は一審に続き、殺意を否認。強姦致死と死体遺棄の罪は認めていたが、控訴審初公判で被告側は、殺人行為を認定した証拠が「スラッパー(打撃棒)以外には被告人の自白しかない」と指摘し、スラッパーによる殴打は「人を死亡させる危険性の高い行為であるとはいえない」「逮捕直後の自白は信用できない」として、殺人罪について無罪を主張していました。

大久保裁判長は判決理由で、被告の供述に基づいて被害者の遺体や凶器が発見されたことから「自白の重要部分は客観的に裏付けられている」と指摘しています。

また、日米両政府は、殺人罪などで一審で無期懲役判決を言い渡された元米軍属、ケネス・シンザト被告(34)=控訴中=に代わり、沖縄防衛局を通じて遺族に見舞金を支払ったことを、遺族の代理人弁護士が明らかにしました。

防衛省によると、米側は見舞金について「自発的かつ人道的な支払い」と位置づけ、例外的な対応としています。

なお、今回の事件は日米地位協定上、支払い対象に当たらないとの認識のようです。

弁護士によると、支払いは2018年7月11日付。金額や分担割合は非公表だが、ほぼ請求通りだったといいます。

那覇地裁が1月、刑事裁判の中で賠償額を決められる制度に基づき、被告に支払いを命じたが、支払い能力がなかったため、遺族側は3月、日米地位協定に基づき米政府に補償を請求していました。

しかし、いくら見舞金が支払われたとしても、被害者が戻ってくることも、完全に遺族の傷が癒えることもありません。

多くのひとに深い悲しみと憤りをもたらし、心の奥底まで突き刺された傷はお金だけで癒えることはないのです。

悪夢のような世界は変えられず、忘れていく虚無感

悪夢のような世界は変えられない

ケネス被告は、島袋さんへの強姦・殺害を肯定しているようにも取れる。また、米国への思いばかりで、日本を島袋さんの命を軽視しているようにも見える。先ほどのアメリカ黒人女性の考えにも垣間見えた、自国の執拗なまでの尊重を感じる。そして、ケネス被告の場合は、さらに女性の命の軽視が現れているように感じる。まるで、敵対視して、自分の犯行が正しいとでも言いたいような。

このような事件が起きてしまうと、つくづく思うのが、悪夢のような世界が変わってほしいという願いと虚無感。変わってほしいと願っているが、世界のどこかに悪魔が潜んでいる現実。ひょっとしたら自分たちにも宿っているのかもしれないという疑い。執拗な自尊心、軽視、自分勝手な心、嫉妬心が少なからず、我々にもあるのかもしれないと思うと恐ろしい。

リナさん安らかに

島袋里奈さんのお父さんは、事件後に島袋里奈さんが亡くなった雑木林を訪れた。島袋里奈さんの魂を拾いに行くために。きっと、島袋里奈さんは喜んでいたと思う、大好きなお父さんに会えて、きっと微笑んでいたのではないか。そして、ごめんと謝っていたかもしれない。あの時に外に出なければ、彼氏の帰りを待ってさえいれば、ゴールデンウィーク前に、家族にも彼氏にも不安な思いをさせて、一生背負うことになる最悪な結果にはならなかったかもしれない。こんなことになるなんて、夢にも思わなかっただろう。

でも、何を言っても何をしても、島袋里奈さんはもう帰ってこない。悲しみと悔しさと絶望感で人生を終えてしまったかもしれない。この世のものとは思えない悪魔のような黒人男性によって、大切な命を絶つことになってしまった。

人生とはなんて不公平なんだろう。そして、辛く残念なことは、多くの人がこの事件を過去のものとして忘れてしまうこと。島袋里奈さんの両親は20歳の彼女と止まったままの時を死ぬまで過ごさないといけないかもしれない。お母さんとお父さんは胸が引き裂かれる思いだろう。彼氏だってそう。もし、身近な存在だったとしたら、辛くて日常生活を送ることができない。この事件のことは一生忘れることはできないだろうし、苦しみはずっと心にあるだろう。

また、直接関係ない人は、事件を忘れ、いつものように仕事に追われ、誰かと笑い、誰かと争い、家族を持ち、幸せな時間を過ごすかもしれない。その一方で、島袋里奈さんとご両親は時を戻すことができないまま、いつまでも当時のまま動かぬ時を過ごすかもしれない。それはどんなに辛いことだろう。なぜこんなにも人生が分かれてしまうのだろう。どうしてこんなに世界は不公平なのか。なぜ人の命を奪うことができるのか、どうすれば、すべての人が幸せに生きられる世界がくるのか。

身勝手な欲望により一人の若い女性の命が終わってしまった。シンサド・ケネス・フランクリン容疑者は元軍人ということで罪刑は軽減されるかもしれない。死刑ではないかもしれない。しかし、被害者遺族は大きな穴を開けられたままでいる。一生埋まることのない大きな心の穴を抱えながら生きることがどんなに辛いことだろう。こんな不公平な世の中を私たちは生きていかなければいけない、希望はどこにあるのだろうか。

そして、いつの間にか事件が遠い過去として忘れられていく。だから、島袋里奈さんのお父さんは葬儀に参加してくれた方へ「娘を忘れないでくれ」と願った。島袋里奈さん家族にとって一番残念なことは、島袋里奈さんを失ったことでもあり、島袋里奈さんを忘れられること。美しい彼女は、確かに生きていた。島袋里奈さんの最後はとても悲しい、悔しい、どうしようもない世界だった。

事件を知り、月日が流れても悲しさ・辛さは残る。本人や遺族はもっと辛かっただろうし、今も辛いだろう。皆いつか乗り越えていけたらと願う。おそらく私が遺族の方にも会うことはないかもしれないが、いつまでも島袋里奈さんのことを忘れずに思っていきたい。彼女は素晴らしい人生を歩んでいたことだろう。もし、彼女が生まれ変わることがあるならば、次の生き方はもっと素晴らしい人生を送れることを信じている。心から願っている。

一方でシンサド・ケネス・フランクリン容疑者の妻や子供や義理親も辛い思うをしていることだろう。皆、乗り越えるしかない。それも人生の紛れもない一部なのだから。願うことは、島袋里奈さんには、天国で安らかに過ごしてほしい。そして、もう苦しみのない世界で生きてほしい。この世の中は楽しいことばかりでない。不公平なことがたくさんある。理不尽なこともいっぱいある。どうしようもない力に潰されることもある。けれども、そっちの世界ではなんの苦しみもない時を生きてほしい。心からゆっくり休んでほしいと思う。それしか私たちは島袋里奈さんの分まで生きて、より良い世界を作っていかないといけない。

里奈さん、島袋里奈さんのお父さんお母さんが会いに来るまで、そっと安らかな世界から見守っていてほしい。今度は争いのない本当に平和で安らかな世界で過ごしてください。いつまでも、島袋里奈さんのことを思っています。助けてあげられず本当にごめんなさい。